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筑北村合併二十周年 おめでとうございます

ページ公開日:2025年11月28日

筑北村合併二十周年 おめでとうございます

第三代村長関川芳男

3代村長.png国が平成の大合併を打ち出す中で筑北村は誕生しました。

合併直後の筑北村の財政状況は実質公債比率が21.8%と高い水準にあり、厳しい財政状況でした。

このような中で、今まで行政が行ってきたことを住民のみなさんが県の支援金等を活用して協働により行っていただいたことや大規模事業については、合併した自治体だけに認められる合併特例債を活用することで、多くの負債も減り、令和五年度決算では2.6%まで下がり、今では郡内で一番良い財政状況となり、合併の成果が出ています。

一方、村の人口は合併時6,043人いた住民が現在、3,911人(8月31日現在)で2,132人の減、また、15歳以下の子どもも20年前の670余が今では280人余となり非常に残念であります。このような少子化の中、学校の統合を実現し教育環境の充実を図り、また、登下校はバスで送迎し交通事故防止等に配慮して来ました。

村内にはJRの駅が3駅、国道が2路線、そして高速道路が通るなど交通の便も非常によく。これからはいろいろな角度から村の活性化に向けて考えていかなければならないと思います。

私は2期8年間村長として。「筑北村はひとつ。停滞から前進へ」を元に事業を進め。その最初の仕事がスマートインターチェンジの誘致でした。議員全員と国へ要望に行った際、衆議院議員の務台先生との懇談の中で、高速道路のインター間の平均距離が12kmくらいであるのに対し、豊科(現安曇野)から麻績インター間は23kmあることから中間にある筑北村にインターを建設することを提案いただき、国に申し入れをしたのが最初でした。完成までの10余年の歳月を要しましたが、この間、ご尽力いただきました。関係者の皆様には頭が下がる思いです。

また、国道403号新矢越トンネルは長い歳月をかけ平成27年に開通しましたが、この開通により、安全に通行できるようになり、うれしく思います。

全国各地で大地震が発生し、どこの市町村でも防災への関心が高まり、当村でも災害時に援助隊等の拠点となる防災公園を完成させました。平時はサッカー場として活用し。年間25,000余の皆さまが来訪していますので、何か村の特産品を考え、販売する良い機会だと思います。

村長を辞職して4年がたちますが、任期中に、いろいろな事業を行う中で一番は何かと問われたとき、「水の問題」だと答えました。

初代関森村長の時に件で施工された栃平ダムが完成しましたが。当時の知事が「脱ダム」を宣言し、当初27mの計画が20mでの完成となってしまいました。水が非常に少ない村の状況を県に理解していただき、当初の計画の高さまでの嵩上げを要望した結果、採択され現在工事中です。

また、大沢地籍の東条ダムは完成から約五十年の歳月が過ぎ、土砂が堆積していましたので、これを搬出し、水量が確保でき、栃平ダムの完成と合わせて農業用水の心配がなくなります。坂井地域では永井ダムの堆積土の除去を行い、湯沢(熊の川)ダムの二つのダムが農業用水としても使用されています。

本城、坂北両地域の飲料水について、毎年夏になると水不足が生じていました。飲料水と筑北SICの周辺に計画されている企業誘致に必要な水を確保するため、栃平水源の周辺に深井戸2本を掘削し、現在飲料水等に活用され、水不足の解消に効果があったと思います。

結びに今後の筑北村の発展には、いろいろな条件が整のい、移住者の方も多くいろいろな意見をお持ちですので、これらの意見を集約していただき、村が発展することを期待しています。
 

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