筑北村合併20周年に寄せて
第二代村長飯森紀元

平成17年、坂北村、本庄村、坂井村が合併し、筑北村が誕生してから、早いもので20年という節目を迎えました。
当時は、国が進めた「平成の大合併」が進行し、行政の効率化や財政基盤の強化が強く求められる中で、村の自律的発展を目指す取り組みが、全国規模で具現化していました。
私は平成21年11月より2代目村長に就任し。以降4年間、村民の皆様の不安や期待を背に、村民、議会、役場職員各位のご理解・ご支援を賜りながら、理想とする「活力のある元気な村」創りに取り組んだことが、感謝の念とともに懐かしく、思い起こされます。
「村づくり」は前任者の合併新村の一体的行政機能の整備・確率への基礎固めに感謝しつつ、少子高齢化・人口減少など村の存在基盤に係る基本課題への対応に加え、地域産業の振興、子育て・教育、高齢者福祉など幅広い分野に及びましたが、全体を通じた行政課題の根底には、合併が必要とされた主要因の「行財政改革」がありました。
中でも関係者の間で注目度の高かったのが、財政の外部依存度(借入金)による財政健全化の度合いを示す「実質公債比比率」でした。(これが高いと歳出の削減や借入金の制限などにつながり自由な村政運営が制約される)
合併当初は20%を超え、赤信号点滅状況でしたが、任期中には11%台とほぼ半減し、現在はさらに大幅に改善され、県下でも良好な水準になっておりますので、今後はその基盤に立って、村の発展に資する「先見性のある投資」を的確に行われるよう期待しています。
次いで「財政面」の対をなす「行政の効率化」について述べますと、分庁方式から本庁方式への以降、温泉施設の経営改善、学童減に対応する保育園・小中学校の在り方に関する住民参加型の検討組織を立ち上げ、行政機能の高度化・効率化を目指しました。
この取り組むは、行政改革の負の側面として懸念された、住民サービスの利便性の低下とならない仕組みをいかに構築するかが課題でしたが、この面の克服方策として、全員野球による「協働」を掲げ、住民力による課題克服を目指しました。中でも、施設の存続を願い、住民の自発的熱意で立ち上がった、「有償ボランティア」による「坂北荘」の経営改善は、現在も継続されており、大変うれしく思っています。
更に、合併の理想的な全体像として、当初原案で描かれた「四村合併」の必要性が強く認識されます。「麻績村との合併」により、当地区は、周囲を里山で囲まれた典型的な農山村の魅力的な盆地として、行政の効率化に止まらず都市との交流や多様な就業意欲のある若者にアピールできる基盤を確立出来、更なる村の発展や住みよい里づくりが展望できることから、この実現を目指し、賛同する皆様からは熱い支援を得ていましたが、「推進体制」を整えることができず、村の今後を左右する懸案事項となっています。
合併二期目の村政を概観しますと、新しい村作りに関する「仕掛品」が多く、多大なご支援・ご協力をいただいた住民や職員の皆様に、しっかりした成果をお届けできなかったことは大変残念に思っています。しかし、その後の推移を見ると、この時期における取組みが、村の改革・発展に基礎造りになっている事柄もあり、各過程におけるそれぞれの努力が、村の発展につながり、活かされていることを大変うれしく思いながら、寄せられたご支援・ご協力に心から感謝と御礼を申し上げる次第です。
「合併二十周年」にあたり、改めてわが村の「持続的発展」と村民の皆様の「ご健勝・ご多幸」を祈念申し上げます。
