合併二十周年の思い出と共に
初代村長関森省吾

筑北村が誕生し、二十年の歳 月が流れ、月日の経つのは本当に早いものだと感じております。
思い起こせば二十有余年前、筑北地域には四村ありましたが、平成の大合併の中で人口減少、財政状況等から本城、坂北、麻績、坂井を一つの自治体にするという事で、合併協議会を立ち上げ進めてまいりました。途中麻績村が諸般の都合により脱会してしまいましたが、三村により平成十七年十月筑北村として発足いたしました。
新村は、旧村単位に支所を置く分庁方式でスタートし、坂北支所に総務、企画、財政部門を、本城支所に住民、保健福祉、子育て支援部門を、坂井支所に建設、産業、商工観光、教育部門、を配置しました。私は初代村長として時間をつくりながら各支所に出向き、私の片腕として働いていただく職員と対話することで顔と名前を覚えるよう努め、また、できる限り集落に出かけ村民の皆さんの声を聞くようにしながら村政を進めてまいりました。
何と言っても事業を進めるにあたり必要な数多くの委員会を立ち上げ、議会の皆さんと相談し、村民の皆さんのご意見や要望もお聞きする中で、ご理解いただき、合併当初に残っていた概ね三百数項目の再調整を何とかまとめることができました。そして第一次筑北村総合計画に基づき「自然に恵まれた「安心」と「活力」にあふれる村」をキャッチフレーズに新生筑北村の発展を目指して取り組んでまいりました。その中の大きな事業の一つとして村内の防災告知放送、テレビ映像送信、インターネット等を可能にする高速情報網の整備を完成することができました。また、村づくり推進委員の皆さんを中心にご意見をいただき、「筑北村村民憲章」。「村章」を制定し、村のシンボルとして「花はつつじ」、「木はアカマツ」、「鳥はウグイス」と決定しました。そして今まで地域ごとに行われてきた「夏まつり」、「敬老会」、「成人式」も地域を超えて心を一つにできるよう、一ヶ所で開催できたことが良かったと思っています。
県の事業でありました栃平ダムの建設については、高さが当初より低く変更されたことに対し、何度となく県に出向いて当初通りの高さにしていただくよう要望しましたが、受け入れられず、竣工式も行われなかったことは残念に思っています。しかし、後を引き継いでいただいた皆様のご尽力により、現在、当初計画の高さまで工事が引き続き行われていることは、うれしく思います。
また、国道四〇三号線の新矢越トンネルの位置が決定し、県議会の皆さまを始め多くの皆さまをご招待し、安全祈願祭を挙行し、一日でも早い完成を願いながら着工することができ、今では無事完成し便利になったこともうれしく思っています。
現在、村の少子高齢化、人口減少が特に進んでおり、その対応や産業振興、行政改革の推進等々、課題は山積しておりますが、村民が一丸となって取り組むなら必ずや道は開けると思っていまいます。
終わりに私も当初掲げた目標に取り組み、務めさせていただいくことができたのも一重に村民の皆様の温かいご支援、ご協力の賜であり、誠にありがたく衷心より厚く御礼申し上げます。筑北村のますますのご発展と村民の皆様のご多幸、ご健勝をお祈り申し上げ筆を置きます。

